砂糖箱

れべるいちからあがらない

今更だけど「この世界の片隅に」を観た感想を書いてみる。※微妙にネタバレ

こんにちは、ジムニーです。

以前から気になっていた「この世界の片隅に」を観ました。

リアルタイムで人気のある作品にはなかなか手を出さないという性分で私にしては珍しく早いなあと思います。それだけ観てみたかったんでしょうね。

ついでにと言ってはあれですが「美女と野獣」も観たのでこの感想については…また別の記事でと思ったのですがあまり書くこともないなあ。ちょびっとあとで書きますね。

 

この世界の片隅にを観て思ったのはもっと早くに観るべきだったなということでした。

そう思える作品はあまりないので自分で驚きました。

ところどころ話の描写でわからない部分がありましたがそれは原作の漫画を読めばわかりそうなので機会があれば読みたいと思います。

一番印象に残ったのはぽやっとしていた主人公のすずさんが始めて怒りややるせなさを出し始めたシーンです。

今まではこの人お嫁に行ったのに大丈夫だろうか?という、家庭に入った人というよりふわふわとした綿あめのような少女めいた人に感じていたのですが…最後まで観たあととしてはいろんなことを呑み込んでどうしようもないことはどうしようもない、と割り切ってわざと自分に対して鈍感にしていた部分もあったのかなと思いました。

心の中で呟いた「どこがどう良かったのか、うちにはさっぱりわからん」という台詞がすずさんの心にぽつりとおちた消えないシミのようで、これからじわじわとそれが広がっていくのかなという悲しい不安がありました。

この「良かった」とみんなに言われるのはやるせなさを感じます、戦争というものとは比べ物にはならないかもしれませんが…子供のころに道端で不審者に追いかけられて体を触られたときに周りから「それくらいですんで良かった」ということを言われました。そのときどこが良いんだ、気持ち悪い、恥ずかしい、こわい、なんでっていう気持ちがあってたぶん今でいうセカンドレイプ的なものなのでしょうが納得できない憤りを感じた記憶があります。

すずさんの周りの人はすずさんが生きていただけでもマシだ、このくらいの傷だけですんでよかったと安心して言っていたのでしょう。でも本来「よくないこと」なのに状況が「よかったこと」として消化される。戦争があるのはよくないこと徴兵されるのはよくないこと食べ物が満足に食べれないのも知ってる人や家族が死んでいくこと、全部よくないのに当たり前にあるからその中で少しでも「よかったこと」を探している。二人死ぬよりは一人でも生き残っていた方がいい、腕をなくしても生きているならいいと。腕はあったほうがいいし二人とも生きていたほうがいいのに。

ちっともよくないのに、よかったと。

どうしようもなくても生きているから生きていかなきゃいけない、生きなきゃいけないから生きている。そんなやるせなさも感じるけどすずさんは投げやりには生きていない。すずさんが外に向けて自分の憤りを出したときはなんだかほっとしました。

この映画をよかったというひととよさがわからないという人がいます、どんな作品でもそうでしょう。特に戦争というものは体験した人はもうあまりいないと思います。私にとっても他の人にとっても非日常に近いものをその差をなくして昔あった戦争というだけではなく日常として表現した作品です。だから感情移入しやすいのかなと感じました。戦争ではないにしろ何かの理不尽さにやるせなさを経験したことある人は共感できるのではないでしょうか。

ぜひ、まだ観てない人は一度観てほしい。そう思います。

 

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